Yusuke Muroi

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  • ■2015

    この年の始めには大学の卒業制作展があった。また、就職先は決まっていなかったが、芸術家になることを放棄して春から就職することに決めていた。そして三月末に就職先が決まった。いつしか私は、芸術の界隈に属さないようにすることが芸術以上に優れている、と考えるようになり自分の身体や生活圏をも芸術の外側に追いやろうとするようになった。だが一方で、追いやる姿勢を芸術として今残されなければ既に存在している芸術から離れすぎて誰にも理解されなくなるかもしれない焦燥感に刈られた。そして私は大学の卒業制作展でアールブリュットを始めとした素人の絵や子供の絵から強く影響を受けた作品を大量に展示した。それは芸術を否定し、芸術の外側の優位性を主張するための手段としてだった。しかし2014年の作品『タイトル不明(集積)』でのテキストで述べたように、私が彼ら、特にアール・ブリュットの作者になることは困難だった。私は彼らが持つ芸術に対する無知を既に失っていた。それゆえに私は、むしろさらに芸術を知ることによって芸術に属さないようにするためのものを作ろうとした。しかし、それこそが新しい芸術を生み出すための真っ当な方法であると思え、私は芸術家になることを拒みながらも、いつのまにか芸術家を目指そうとする地点に立ってしまっていた。しかし、そのような自分自身を疑い続けなければ芸術家として甘んじてしまうとも思っていた。




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    『自由の錬金術(1)』

    この画像は東京藝術大学取手校地における卒業制作の審査展にて発表したものである。こちらの展示形式が私が目指していたものであり、のちの東京都美術館での発表形式は私が望んだものではない。 このインスタレーションでは主に2014年に描かれたドローイングや彫刻の集積が床や壁、天井まで展示されている。手法はアナログとデジタルが混在し、正面のモニターには私がこれまでインターネットに投稿したドローイングのスライドが流れる。また、その近くには過去の活動をまとめた40冊のスクラップブックも展示されている。 さらに、私はたとえ芸術を否定する態度で制作していても、自分の作品を否定しているわけではないことは示そうとした。よって、私は作品を整然と並べ、空間を整えた。アール・ブリュットのような作品が示す芸術に対する無知から生まれる創造性にこそ芸術性が宿るとしたら私はもうそれを超えることは出来ない。しかし、それを知りながらも私は無知のふりをして大量に作品を制作した。だが、整然と並べるその態度はアカデミックな芸術の作法に従っていたとも言えるかもしれないだろう。とにかく様々な矛盾を抱えながら、その矛盾をエネルギーに私は制作をした。 そして、春から就職する私は、芸術家になることを放棄する一方で芸術家になれないかもしれないという不安を抱えながら、就職を肯定し、いつか芸術の領域に戻る決意をしていた。その芸術の領域とは、芸術として美術史に刻み続けられる領域のことかもしれないが、その領域を獲得する方法は分からなかった。しかし、分からないながらも、その芸術の領域にいつか戻る前提ありきの就職は、実はいつか芸術家になろうとしている本心から必然的な道のりとして自ら選んだとも言えるだろう。私はいつのまにか芸術に毒され、何事もいつか芸術に置き換える前提ですべての行動をとるようになってしまったような気がする。そして本当に芸術に置き換えることができるかどうかは、自ら唯一無二の個人史を獲得し、誰にも真似できない本物の存在として、芸術家を名乗るときなのかもしれない。しかし、国立大学を出て就職する私は、社会的には平凡に過ぎないのである。

  • 〈当時のカタログ掲載テキスト〉





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    『自由の錬金術(2)』

    こちらは東京都美術館で発表した形式である。納得できる構成になったとは言い難いが、有孔ボードと私の制作物の親和性は高かった。そして展覧会の来場者の多くは、私の作品を複数の人間のワークショップとして見ていたらしい。




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    『Small Smithson』

    卒業制作展を終えて就職するまでの間にいくつかのアイディアを形にしておきたかった。 これはロバート・スミッソンのスパイラルジェッティから着想を得て、うずまき(蚊取り線香)を路上に配置する試みである。




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    『タイトル不明(渋滞)』

    これもまた私の就職以前の作品である。展覧会に急遽参加を呼び掛けられ制作をした。窓の外の渋滞を拙い手法で再現している。




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    『Hope(To Not be Nailed by Capitalism)』

    皮肉にも私は卒業制作展で賞を受賞し、それを顕彰するための展覧会に参加した。これはそのときの作品である。就職して3ヶ月が過ぎた頃だった。この頃、私の表現方法や技術は社会では一切求められないことを実感していた。そんな圧力に潰されないようにするために、私は帰宅後や休日にドローイングを描きためていた。また、この頃は骨董市に興味をもち、自分にとって確かな魅力がある捨てられる直前のものを収集していた。ここではドローイングと、それらのオブジェクトを混ぜて展示し、さらに、2つの映像作品を配置した。1つは、こけしを逆さにして首を回す映像とブルースナウマンの映像を重ねたもの。そしてもう1つは、ぬいぐるみで一人遊びをする映像である。




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    『その儀式』

    小さい頃、部屋のライトに照らされたカーテンのある部屋を外から見るのが怖かった。そこにあるのは、ありきたりな誰かの日常の存在であるはずだが、その存在は不確かである。隠すという行動によって作られた抽象絵画のような四角形を、私は帰宅の遅い日に写真で記録した。




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    『定点観測』

    職場に通う途中、家主が水を巻くことによって、ゴムホースが生き物のように日々変化する場所がある。私はその変化を日々記録していた。





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