Yusuke Muroi

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  • ■2016

    2016年は社会人二年目になる年だった。しかし日々現代芸術とは無縁の労働に励む傍ら作品をつくる私は日曜美術家と同じであると言える気がした。アール・ブリュットに近付くことはできなくとも、現代芸術におけるアウトサイダーにようやくなれた気がした。また、上司や環境への確かなリスペクトの気持ちが芽生え、芸術を否定する要因になった。そもそも私は労働によって生活をすることができている。つまり芸術によって生かされてはいないのである。労働を芸術と言ってしまえば芸術によって生かされているとも言えるが、とにかく制作は私にとって余計な出費を強いてくる足手まといの存在のような気さえした。そして、そのような状況下とはいえども、この年は『ポコラート全国公募展』に初めて出品した年だった。そこにはアール・ブリュットと言うことができる作品も多くある。そして私はその公募展に入選し、さらに賞も獲得した。しかし、入選作品や受賞者を決めるほとんどの審査員は現代芸術家であった。すなわち、彼らは現代芸術を決定する人間であり、私は現代芸術の外側に立つことができたわけではないのである。だが、それを知りながらも私はこの公募展に出展した。つまり現代芸術におけるアウトサイダーに自らなろうとすることを現代芸術として認めてもらうことを期待していたからかもしれない。結局のところ日曜美術家としての私は現代芸術を拡張したいがための私の選択の結果である。




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    『無題(国宝)』

    昆虫飼育ケースにセレクトした半年分の部屋のゴミを入れ、5段重ねにした。そしてその上から紙を貼り付け、レンガ模様を施し、透明テープを巻きけるなどの処理をした。この作品はポコラート全国公募での受賞作品でもある。 私は公募展の制度を利用し、さらに『国宝』というタイトルを与えることで、ぞんざいなものを壮大に見立てたかった。また、現代芸術作品に見られる『無題』というタイトルを使いたかった。




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    『最も遠い場所に辿り着くための日記』

    こちらはポコラート全国公募での2点目の入選作品である。私は労働をする傍ら自分の時間を使ってドローイングを描きためていた。しかし忙しい日も多く、絵は簡略化もした。そのような行為は芸術を忘れないようにするためなのか、芸術という土俵から忘れられないようにするためなのかは分からない。 一方でこれらは芸術から最も遠い場所にたどり着くための訓練でもあった。私は見たことのない風景、誰も描けない風景を純粋に求めていた。もはや芸術と非芸術、本物と偽物など二項対立で考える必要はないのかもしれないと悟り始めた。




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    『スーパーアカデミック』

    11月、私は神奈川県の海老名市でひっそりと個展をおこなった。アカデミックにアカデミックを超越することをテーマに、ほとんど即興で制作をした。個展は予約制で、ほとんど誰も来なかった。また会期中のたいていの日が仕事で、オープン日も少なかった。会社で働く私にとって、これは公にしたくない自分のための作品だったのかもしれない。だが、スーパーマーケットのお惣菜を振る舞うレセプションパーティーでは、集まった数名の人たちと談義をすることができた。




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    『制作は高くつくので』

    美術家ライアンガンダーの作品「編集は高くつくので」というタイトルから着想した。これまで、たとえ制作に資金をかけても作品が収入には繋がらなかった。そこで私は苔むした駐車場に100円ショップで買ったピンク色のビニールボールを一つ置いた。




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    『ダイヤモンド』

    これは日々自室のゴミを手で丸めマスキングテープや、折り紙、アルミテープなどで包んだものの集積である。それをダイヤモンドと名付けようが名付けまいが、私は捨てられるはずだったものに愛着を持って接することをかけがえのないものとし、ライフワークとした。しかし、本当にそのように思っているのか、本当にここに書いた言葉が私の言葉か、と考えると自信がない。





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