Yusuke Muroi










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  • ■2021



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    『裏世界の裏庭』

    『VOU』(京都)でのグループ展。 この空間ではペインターの安部悠介とコラボレーションをおこなった。「茂み」をテーマに絵画・インスタレーション作品を展開。

    ▼以下、展示のためのステートメント

    「茂み」には何かが潜んでいるようなゾワゾワとした感覚が少年期にはあった。それは昆虫や動物、不法投棄された何か、 あるいは、もっと非現実的なものかもしれない。確認して一喜一憂することもあれば、気になりつつも敢えて確認をしないで去ってみたりもした。
    こうした「茂み」への期待は少年期に夢中になったテレビゲームによって培われたとも言える。ゲームの主人公は「茂み」を探ることによってお金やアイテムを入手する。ときには「茂み」から地下世界に落下したりと、現実世界ではありえないようなファンタジーが起こりえた。たとえ現実味の薄い解像度の低いグラフィックでも、小さい頃はそこに没入できた。
    あれから何年もたって、「茂み」への執着はほとんどどこかに消えてしまったような気がする。現実的にものごとを捉えるようになり、何かを得られるかもしれないという期待感が薄れてしまった。それでも、目的地までアスファルトの道路と草が生い茂る獣道があるとすれば、獣道を選んでしまうような感覚は未だに抜け落ちてはいない。ここでは、 何かを得られるかもしれないという期待感を再び獲得するために、テレビゲームの中の「茂み」から着想を得て空間を構成する。




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    『こどもおとなクリニック』

    mumeiによるキュレーション、2×2×2 by imlabor(東京)での個展。

    「こどもおとな」とは私の幼少期のかかりつけ病院の名称で、そこには大きなからくり時計・観葉植物・保護者向けに掲示されたちょっとグロテスクな皮膚の炎症の写真があった。子どもを楽しませるように工夫されたものと、そうではないものが混在し、それゆえに不気味な思い出として残っている。
    この展覧会では自身の記憶から不気味なものを抽出し、魔除け・疫病退散・健康的な生活をテーマに絵画・インスタレーションとして構成している。




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    『王国をつくりなさい。』

    『居場所はどこにある?』展への出品で、「王国をつくりなさい。」2018 を新たに再構築したもの。

    以前の展示では主に床面に展開したが、今回は壁面にも広く展開している。 作品内に立てられた5メートル強の銀色の棒は、神が世界をつくるために攪拌するためのもの、コンポジション、あるいはジャックの豆の木のような存在として、新たに追加した。




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    『ケージを抜け出す夢を見る』

    『群馬青年ビエンナーレ2021』の出品作。 2019年の展覧会『Hamster-Powered Night Light』への出品作を新たに再構築したもの。

    ▼以下展覧会で配布した解説文

    私は長いあいだハムスターを飼っている。
    本来ハムスターは荒野を走り回る動物だが、ケージの中ではその行為の代替として回し車を回す。また、身を守る習性から、紙筒を与えると、隠れ家としたり好んで通り道とする。
    新型ウイルス蔓延の状況により、私は自宅の四畳半のアトリエにこもって制作を続けている。外出のできないこの状況で、生活から排出されたラップやトイレットペーパーの芯を、回し車を回すように転がしてみたりする。
    この行為によって前進することはないが、絵の具のほか、取るに足らないものたちが芯の表面に付着して、新たな質感を生み出す。それを繋ぎ合わせてつくった通路はどこか遠くを目指している。




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    『エグモント』

    特別演奏会 音楽劇《エグモント》~ゲーテによる悲劇~ の舞台美術を担当した。 奥と手前で貴族と市民のエリアが別れており、貴族のエリアにはスクリーンを兼ねたミニマルな造形物、市民エリアには木材・養生テープ・新聞紙を用いてバリケードのような造形を展開している。
    パイプオルガンのある荘厳な奏楽堂の権威性を脱臼させようとする一方で、空間と調和することも目指している。




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    『自由の錬金術』

    指示書に従い、複製、模倣、移行、再制作が必要となる芸術作品の再演(再現)について、その保存、継承における作品の同一性を問うことを目的とした展覧会へ、卒業制作(2014-2015)の作品の一部と当時の展示の記録写真を出品した。

    ▼以下、「あなたの芸術「作品」を再現(再演)する際、何をもって同一とするか」という問いに対して、展覧会で発表した文章。


    私の作品を再現しようとしても、二度と同一になることはない。
    私は、インスタレーション作品を構成する際、現場での「即興や遊び」を作品の大切な要素としている。展示空間全体がキャンバスのようなもので、そこに描くように構成をその場で決めている。もちろん、事前にどこに何を配置するかは計画を立てているし、それは指示書として作成することができる。けれども、配置の際に生まれる私自身の「即興や遊び」は他者に委ねることができず、指示書に残すことが難しい。たとえば、展示室の壁と床の隙間に作品を忍ばせてみたり、すでにある床の傷をあえて見せるような構成をしてみたり、梱包材やクレートの上に作品を置いてみたり...そういったアクションすべて現場で思いつく。つまり、その場で見つけた新たな要素を作品に取り入れていくので、同一の作品になりえないと言える。

    では、一度展示したことのあるインスタレーション作品を、寸分の狂いなく同じ構成で、同じ場所に他者がインストールをおこなった場合、それは同一作品と言えるだろうか。
    私の卒業制作の場合、2015年1月というタイミングや、発表した場所、周囲にある別の作家の作品や、導線なども作品の重要な要素として含まれていたように思える。すべての条件が同じ卒業制作展の再現は不可能であろう。
    さらに、当時インストールしたときの逼迫した心情が作品に宿らない。社会に出る直前の焦燥感と、卒業制作における緊張感、短い設営時間などの要素が作品にライブ感を与える。表面上はまったく同じ構成に見えていても、そのときの気持ちや状況までは、誰がおこなっても再現はできない。インストールとは作品を成立させるための一過性のパフォーマンスとも言えよう。私は、再現が不可能であることを自覚した上で、作品の経年劣化・変質について、それも作品の要素としてポジティブに捉えていくこととする。先述したように、私のインストールは即興を重視しているので、その経年についても、即興によって新たな見せ方をつくることができる。けれども作品が劣化する遠い未来に私はいないだろう。
    その場合、代替案を検討し、誰にどのようにインストールを託すのか、書き示す必要がある。私が不在となっても作品が変化し続けるような、そういうものであっても良い。





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