■2021
![]() ![]() ![]() 裏世界の裏庭(2021) ミクストメディア/木材・ペンキ・竹串・その他 7800×3045×2420(mm) ペインターの安部悠介とのコラボレーション展示 『THE ヨエロ寸 - 尋 -』 VOU, 京都 ペインターの安部悠介とコラボレーションをおこなった。「茂み」をテーマに絵画・インスタレーション作品を展開した。 《ステートメント》 「茂み」に何かが潜んでいるような、ゾワゾワとした感覚を少年期には抱いていた。 それは昆虫や動物、不法投棄された何か、あるいはもっと非現実的なものかもしれない。確認して一喜一憂することもあれば、気になりながらもあえて確かめずに立ち去ることもあった。 こうした「茂み」への期待は、少年時代に夢中になったテレビゲームによって育まれたとも言える。ゲームの主人公は「茂み」を探ることでお金やアイテムを入手できる。ときには「茂み」から地下世界に落下するなど、現実では起こりえないファンタジーが展開した。たとえ現実味の薄い低解像度のグラフィックでも、幼い頃はそこに没入することができた。 あれから何年も経ち、「茂み」への関心はどこかへ消えてしまったように思う。現実的に物事を捉えるようになり、何かを得られるかもしれないという期待感は薄れてしまった。それでも、目的地までアスファルトの道路と草の茂る獣道があるなら、つい獣道を選んでしまう感覚はいまも残っている。 今回のインスタレーションは、「茂み」から何かを得られるかもしれないという期待感を、再び取り戻すために制作したものである。 -------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() こどもおとなクリニック(2021) パネル・キャンバス・アクリル・油彩・オイルパステル・スプレー・ボールペン・アラザン・他 5400×5800×2600(mm) 『こどもおとなクリニック』 2x2x2 by imlabor, 東京 「こどもおとな」とは、私の幼少期に通っていたかかりつけ病院の名称である。そこには、大きなからくり時計や観葉植物が置かれていた一方で、保護者向けに掲示された皮膚炎などのややグロテスクな症例写真も存在した。子どもを楽しませるための工夫と、そうではない要素が混在しており、その体験は不気味な記憶として残っている。 本展では、その記憶を発端として「不気味さ」を抽出し、魔除けや疫病退散を療法とするクリニックを想定。かつて接骨院であったギャラリー空間にて構成した。 -------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() 「王国をつくりなさい」(2021) ミクストメディア 3800×8000×5000(mm) 『居場所はどこにある?』東京藝術大学 陳列館, 東京 『王国をつくりなさい』2018 を新たに再構築したもの。 以前の展示では主に床面に展開したが、今回は壁面にも広く展開している。 作品内に立てられた5メートル強の銀色の棒は、神が世界をつくるために攪拌するためのもの(ドラえもん「創世日記」より着想)、あるいはジャックの豆の木のような存在として、新たに追加した。また、エアコンの通気口も作品の一部として取り入れている。 -------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() ケージを抜け出す夢を見る(2021) おがくず・ラップやトイレットペーパーなどの芯・キャンバス・描画材・木材・映像・ほか 3000×3000×3000(mm) 『群馬青年ビエンナーレ』群馬県立近代美術館, 群馬 2019年の展覧会『Hamster-Powered Night Light』への出品作を新たに再構築したもの。 《会場配布のテキスト》 私は長いあいだハムスターを飼っている。 本来ハムスターは荒野を走り回る動物だが、ケージの中ではその行為の代替として回し車を回す。また、身を守る習性から、紙筒を与えると、隠れ家としたり好んで通り道とする。 新型ウイルス蔓延の状況により、私は自宅の四畳半のアトリエにこもって制作を続けている。外出のできないこの状況で、生活から排出されたラップやトイレットペーパーの芯を、回し車を回すように転がしてみたりする。 この行為によって前進することはないが、絵の具のほか、取るに足らないものたちが芯の表面に付着して、新たな質感を生み出す。それを繋ぎ合わせてつくった通路は遠いどこかを目指している。 -------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() エグモント(2021) 木材・新聞紙・養生テープ・ペンキ・アルミホイル・他 サイズ可変 『エグモント』東京藝術大学 奏楽堂, 東京 特別演奏会 音楽劇《エグモント》~ゲーテによる悲劇~にて舞台美術を担当した。舞台は奥と手前で貴族と市民の領域を分け、貴族のエリアにはスクリーンを兼ねたミニマルな造形物を、市民のエリアには木材・養生テープ・新聞紙を用いたバリケード状の造形を展開した。 パイプオルガンを備えた荘厳な奏楽堂の権威性を脱臼させると同時に、その空間との調和も意図している。 -------------------------------------------------- ![]() ![]() ![]() 自由の錬金術(2015,2021) ミクストメディア 3000×1200×2000(mm) 『再演 ―指示とその手順』東京藝術大学 大学美術館, 東京 指示書に基づき複製・模倣・移行・再制作が求められる芸術作品の再演(再現)をテーマに、保存や継承における作品の同一性を問う展覧会に出品した。出品内容は、卒業制作(2014–2015)の一部と、当時の展示記録写真である。 《「あなたの芸術「作品」を再現(再演)する際、何をもって同一とするか」という問いに対して、展覧会で発表した文章》 私の作品を再現しようとしても、二度と同一になることはない。 私は、インスタレーション作品を構成する際、現場での「即興や遊び」を作品の大切な要素としている。展示空間全体がキャンバスのようなもので、そこに描くように構成をその場で決めている。もちろん、事前にどこに何を配置するかは計画を立てているし、それは指示書として作成することができる。けれども、配置の際に生まれる私自身の「即興や遊び」は他者に委ねることができず、指示書に残すことが難しい。たとえば、展示室の壁と床の隙間に作品を忍ばせてみたり、すでにある床の傷をあえて見せるような構成をしてみたり、梱包材やクレートの上に作品を置いてみたり...そういったアクションすべて現場で思いつく。つまり、その場で見つけた新たな要素を作品に取り入れていくので、同一の作品になりえないと言える。 では、一度展示したことのあるインスタレーション作品を、寸分の狂いなく同じ構成で、同じ場所に他者がインストールをおこなった場合、それは同一作品と言えるだろうか。 私の卒業制作の場合、2015年1月というタイミングや、発表した場所、周囲にある別の作家の作品や、導線なども作品の重要な要素として含まれていたように思える。すべての条件が同じ卒業制作展の再現は不可能であろう。 さらに、当時インストールしたときの逼迫した心情が作品に宿らない。社会に出る直前の焦燥感と、卒業制作における緊張感、短い設営時間などの要素が作品にライブ感を与える。表面上はまったく同じ構成に見えていても、そのときの気持ちや状況までは、誰がおこなっても再現はできない。インストールとは作品を成立させるための一過性のパフォーマンスとも言えよう。私は、再現が不可能であることを自覚した上で、作品の経年劣化・変質について、それも作品の要素としてポジティブに捉えていくこととする。先述したように、私のインストールは即興を重視しているので、その経年についても、即興によって新たな見せ方をつくることができる。けれども作品が劣化する遠い未来に私はいないだろう。 その場合、代替案を検討し、誰にどのようにインストールを託すのか、書き示す必要がある。私が不在となっても作品が変化し続けるような、そういうものであっても良い。 |