自分を外側に置こうとすること 何年も前に初めて見たグラフィティの衝撃は大きかった。私もグラフィティを始めよう、と思った。しかし私は街に描けなかった。理性、他者の目、を気にした。私は窮屈な規制をすり抜けるような私だけの路上の表現を模索した。 こうして2009年にカラーフィールドという連作が生まれた。それは、水たまりに絵具を溶かす、雑草を装飾する、といった試みであった。これらは一時的にしか成立せず儚い。しかし、写真で記録することで完全なる消滅を防いだ。また、もう一つの公共空間(ウェブサイト)で写真を公開した。 こうした試みはグラフィティ史の更新であり、私にとって美術史を更新する意図はなかった。その頃の私にとって、(いや、今でも)美術は敵であった。美術とは、権力を手にすることで美術館というフィールドで自由になれるシステムだ。それに対してグラフィティは権力なき者も自由を主張することができる方法である。ゆえにグラフィティは反芸術的である。真のグラフィティライターは描く対象に対して許可を得ない。許可を得ることは権力者の傘下に入ることであり、グラフィティをする者はそれを嫌う。 しかし権力を嫌う私が芸術大学に入学したことは矛盾であった。私にとって権威は否定の対象であると同時に羨望の対象でもあったのかもしれない。そんな自分を情けなく思う時もあれば、アカデミックな肩書が説得力を与えている社会に苛立ちを覚えるときもある。 私はほとんどの芸術家が気に食わなかったが、ある時ジャンデュビュッフェという画家の存在を知った。彼は芸術の権威を否定し、美術教育を受けず権威を求めない障碍者らが描いた絵を賛美した。そして彼自身もそういった人間のフリをして美術のフィールドに外側から入り込んだ。私は彼のスタイルに脱帽した。そもそも私自身が美術教育を受けていない人間の作品(アール・ブリュット、ブリコラージュ)やノイズミュージック、インターネットのゴミのような画像から影響を受けていたことに気付いた。 私は(真っ当そうに見えるだけの)芸術家に対して苛立ちを感じさせるような作品を作り続けたい。そして無視できないほどの膨大な量をつきつけることで彼らの仕事を脅かす。 また、狭い芸術の世界だけではなく、今日のような発言の自由が奪われそうな時代においても、子供のフリをして権力に抵抗し、それを揶揄し続ける。 |